プレカリアートと江戸っ子

杉浦日向子さんが2005年7月に亡くなってから二年ほど経った。ちょうど亡くなる直前に、杉浦さんの本を好んで読み始めたので、亡くなったと知って非常に残念に思った。

どちらかといえば、江戸をユートピア的にとらえている杉浦さんの本。小谷野敦江戸幻想批判など、それに反対する本もきちんと読まねばならないと思っているのだが、ついつい、それを後にして、杉浦さんの本を読んでしまう。杉浦さんの江戸に関する本を読んでいると、本当に、元気が出る。私にとって、「これは幻想であるかもしれないけれど、そうであってもよい」と思えるような愉しい話だ。

最近読んだ『お江戸風流さんぽ道』は、現代の東京で江戸を感じることが出来るスポットのガイドとしても使えるお得な本だ。この本を読んでいると、江戸ツアーを企画したくなってくる。

粋な格好で、隅田川くだりをしたり、寄席に行ったり、蕎麦を食べたり・・・

なぜ、私が江戸幻想に時に浸りたくなるかについて、自己分析してみたのだが、私が、プレカリアートであるということが大きく関わっていると思っている。

「宵越しの金は持たねぇ」と強がる江戸っ子ですが、稼いだ分を食べて呑んで遊んでしまうので、実際は金を持ちたくても持てない自転車操業なのですね。江戸っ子は、身軽に暮らすことを良しとし、出世のためにあくせくすることをみっともないと考えていました。それもこれも、一夜の火事で何もかもが灰になってしまうかもしれない江戸が培った気質なのでありましょう。(『お江戸風流さんぽ道』杉浦日向子

私は、どちらかというと自ら望んで不安定な労働に就くことを選択してきた。そうではあるけれど、まさに自転車操業である現状に不安を感じ、暗くなることもある。そういう時、パァっと明るい光を投げかけてくれるのが江戸幻想なのだ。杉浦日向子の本に描かれる江戸っ子は、安定していないのにかっこいい。自由きままにノンシャランとやっている。江戸時代と、現代の日本と、環境が全然違うのに、江戸っ子に自分を重ねあわせるのは、おかしなことなのかもしれない。でも、江戸っ子の心意気は、力を与えてくれる。安定していないと、誰に迷惑をかけているわけでもないのに、一段低く見て、差別的な言葉を投げてくる人もいる。そんな人に、心のどこかで「安定していなくてもかっこいいな、何でだろう」と思わせてしまうような、そんな感じでありたい。そのお手本が江戸っ子なのだ。

お江戸風流さんぽ道

お江戸風流さんぽ道