家と記憶

今回の地震で、家を失った人はかなりの数にのぼる。私も実家は青森なので人ごととは思えないし、関西に住んではいてもいつ家(借りている部屋)を失うかわからないという意識でずっと生きている。ただ、だからこそなのか家を持ちたいと思ったことも無く、賃貸生活を続けている。その上、引越しも多く、現在までの引越し回数は計7回だ。

狭い賃貸の部屋に置けるものは限られているので、あまり物も持たないようにしている。そんな中、災害に際して何を持ち出して逃げるのか。まずは助かることが一番大切だけれど、持ち出せるものがあるとしたら、きっとアルバムを持ち出すと思う。おそらく、そんなことするまもなく逃げなければならないのだろうけれど。

ある年の台風でマイホームを失った人びとのうち、アルバムを流失したことを残念に思った人がもっとも多かったという調査結果もあるらしい。(中略)人間は個人史によって自分を確かめるという心理を欠いては生きられないことを示しているようである。人間は、家を失いつつあるときに、かつて家のしまいこんだ生活の記憶をもっと端的な記録に外化して保ちつづけているように見える。
多木浩二『生きられた家』)

映画や小説の中には、家や土地を決して動きたがらない人とその逆の定住しない(出来ない)人たちがよく登場する。普通は、家や土地を決して動きたくないのだろうと思う。それはなぜなのか考えてみたいと思い、多木浩二著『生きられた家』を手に取った。

今回の地震で避難所で生活されている方たちの困難は私の想像を超えるものなのだろうと思う。運よく、物資が何とか間に合っても「家に帰れない」、「家を失った」という精神的なストレスをどこへ持って言ったらよいのか。「家とは、人の住みかた、世界への定着のさまを示すものであった」多木浩二『生きられた家』)これが当てはまるなら、世界と自分との関係を捕らえなおすという作業をしなければならなくなる。

方丈記」を書いた鴨長明は、父方の祖母からうけついだ家に住み、やがて十分の一くらいの庵にうつり、最後に最初の百分の一ほどの小さな方丈の庵に辿り着く。(中略)かくしてしつらえられた方丈の庵は、現世に対する失意、絶望と煩悩からの解脱にふさわしいように、軽く、非実在的で、ほとんど物質的な重量を感じさせない。自分で工夫したこの草庵は、このうえなく単純化され、そのうえいつでも望みに応じてとりこわし、車に積んで運び移築することも可能な仕様であったらしい。この家はまぼろしのように一時的な現象にすぎないように見え、固定し持続する印象をあたえない。心のまわりをかこう最小限の材料にすぎないのである。多木浩二『生きられた家』)

という平安〜鎌倉時代歌人の境地に至るのは現代では凡そ不可能で現実的ではないが、「かくも家への住み方と人間の心性というものは大きな関わりを持っていたのか」と気づかされた文章だ。

家そのものが記憶である。それは私だけでなく、私の先祖たちの痕跡であり、さらに、家族をこえて家をつぎつぎに進化させてきた人類の時間の痕跡が重なっている。厳密にいえば、さきに区別したように家の記憶のなかにも人類学的時間に属する歴史と家族に属する歴史とを区別しなければならないだろう。いずれにしろ記憶ということばを用いるのは、現在を過去との関係で問いなおすことを意味している。そしてこの関係は家を多重に織られたテキストに変えていくのである。多木浩二『生きられた家』)

記憶と密接に結びついた家といったん強制的に切り離されてしまうことが誰にでも起こりうる。いくら耐震構造がしっかりした家を作ろうとも、何によって失われるかわからない。私たちは自分の中に残っている記憶をまた新たなものと結びつけていくことしか出来ないけれども、それが「生きられた時間」となり、その「生きられた時間」がまた自分と似た家になっていくのだろうと思う。

生きられた家―経験と象徴

生きられた家―経験と象徴

方丈記 (岩波文庫)

方丈記 (岩波文庫)