「労働は人を自由にする」とはアウシュビッツ強制収容所の門に書かれていた言葉である

キング牧師ベーシック・インカムを要求する運動を組織するなかで糾弾に倒れた。彼は、ベーシック・インカム要求について、黒人のシングルマザーたちを中心とした運動から多くを学んだという。ベーシック・インカムとはどのようなものか。山森亮ベーシック・インカム入門―無条件給付の基本所得を考える』を読んだ。

戦後の福祉国家の理念はおおよそ、以下のようなものであるとのこと。

  1. 完全雇用の達成(個人にとっては、仕事は探せばある、仕事に就けば食べられる)を前提とした上で、
  2. 一時的なリスクには、事前に諸個人が保険料を拠出する社会保険が対応し、それでも無理な場合は例外的に、
  3. セーフティーネットとして生活保護など、無拠出だが受給にあたって所得などについての審査を受けなくてはならない公的扶助と呼ばれる給付を行う。

しかし、福祉国家スティグマと生の序列化という問題を抱えている。つまり「賃金労働に従事し生活できる者たちを標準として、高齢者、障害者など労働できないとされる人々や、賃金労働はしているが、それだけでは生活できない人たちを、それより一段劣るものとして、そして労働可能と看做されながら賃金労働に従事して居ない人々を最も劣るものとして序列化していく」ということである。

日本の状況としては、3の生活保護について、受給できるはずの世帯のうち、実際に受給している世帯の割合を示す捕捉率が多くの国で50%を超えているのに比べて20%前後と極端に低い。

しかし、他の国において福祉国家の理念どおりに事が進んでいるのかというとそうでもない。アメリカやイギリスでは完全雇用が達成されなくなるなか「福祉から就労へ」舵を切った。それはつまり、福祉の権利が廃止されることを意味することでもあった。このような動向のなか、ターゲットとされたのは、高齢者や障害者、病者より、働かせることが比較的可能と思われた母子世帯となる。

福祉受給者に厳しい実態は「劣等処遇の原則」が謳われ「救済に値しない貧民」を差別的に扱った19世紀イギリスといまだ変わっていない。

福祉受給者である高齢者、障害者、病者、失業者、ひとり親はどれをとっても誰もが「いつかは」もしくは「ある日突然」もしくは「ほかに為すすべがなく」なる可能性のあるものだ。

財政赤字の責を社会扶助支出に帰するのは誤解に基づく議論だとノーベル経済学者のスティグリッツは指摘しているというが、その誤解を持っている人があまりに多い。そして、制度がいっこうに整わないばかりか、さらに福祉受給者に厳しい政策が支持され、可決される。

ベーシック・インカム入門』の中では、「衣食足りて礼節を知る」と「働かざる者、食うべからず」というふたつの格言が多く引用されている。構図として、「衣食足りて礼節を知る」ためのベーシック・インカムのとそれを妨げる「働かざる者、食うべからず」と考えるとわかりやすい。

福祉国家の三つの理念は、いわば「衣食足りて礼節を知る」という格言と「働かざる者、食うべからず」という格言を足して二で割ったようなものである。衣食足りて(=生存権が保障されて)初めて礼節を知る(=市民として社会に貢献できる)のだから、すべてのひとに最低生活を保障しなくてはならない。
しかしその保障の仕組みは、賃労働で働く者を優先したものである。そして私たちの多くは「働かざる者、食うべからず」という金言を血肉化している。なにしろ長い歴史をもつ言葉で、聖書にも同様の一節がある。「働きたくない者は、食べてはならない」(新約聖書「テサロニケの信徒への手紙」)。しかし、この一節と私たちが血肉化している金言との違いは、「働きたいけれど働かない者」は食べてもよい、ということだ。山森亮著『ベーシック・インカム入門―無条件給付の基本所得を考える』)

福祉国家の仕組みは、「働きたいけれども働けない者」を「働いていない者」たちの中から選別することが出来るという前提で成り立っているが、その選別は失敗している。

このような現状の打開策として、ベーシク・インカムの考え方は希望であるが、まずは少なくとも「財政赤字の責を社会扶助支出に帰するべきではなということ」「『働きたいけれども働けない者』を『働いていない者』たちの中から選別することは難しいということ」というふたつの問題を私たちがしっかり認識することが必要である。

アウシュビッツ強制収容所の門に書かれていた「労働は人を自由にする」という言葉についても第一章で触れられるが、「働かざる者、食うべからず」という言葉はファシズムを連想させる暴力性を持っている。そしてファシスト政権下の国民のようにターゲットにならない限りその暴力性に気付きにくいというやっかいな性質を持つ言葉だ。ただ、当時の国民のように、やはりその言葉を口にする人々が追い詰められている状況だということもまた事実なのだと思う。

ベーシック・インカム入門 (光文社新書)

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Paris, mais c'est la Tour Eiffel(パリ、そいつぁエッフェル塔さ)

通天閣についての本を読んでいるが、とても面白い」と知人がしきりに言うので、それならこちらはと倉田保雄著エッフェル塔ものがたり』を読んだ。

エッフェル塔は、ヒトラーチャップリンジャン・コクトーが生まれたのと同じ1889年に完成している。特に第二次大戦時のヒトラーエッフェル塔の関係についてはルネ・クレマン監督パリは燃えているかを観るとよくわかるが、今はそれほど作品として人気が無いのか、日本版DVDが出ていないのが残念だ。

塔の設計者ギュスタブ・エッフェルは学者という顔も持っており、エッフェル塔で風速や風圧に対処する研究を行い、航空力学を発展させるのに貢献した。これにより、フランス空軍は第一次大戦で優秀な軍用機を生産することが出来たという。

また、当初1909年に取り壊すことになっていたエッフェル塔が存続させられたのは、フランス陸軍が塔を国防上の必要な施設と判断したことによる。

たかがといえば語弊があるが、もともと万博の目玉として作られた建造物が、このように二つの世界大戦と大きく関わりを持ち、現在に至るまで多くのストーリーの舞台として、「Paris, mais c'est la Tour Eiffel(パリ、そいつぁエッフェル塔さ)」とシャンソンに歌われるほどパリと切り離す事ができない存在になった経緯を知った。

通天閣と繋がるところはあるかといえば、二つ発見した。

1・フランス革命100周年にあたるパリ万博のために考案された「エッフェル塔(la Tour Eiffel)」だが、この鉄の塔に対する案として出ていたのは、「太陽の塔(la Tour Soleil」という頂上に反射鏡装置を取り付けた塔で、地上からの協力な電光を跳ね返し、パリ全市を照らす灯台のような石造りの塔であった。通天閣ではないが、同じ大坂の万博のために作られた岡本太郎による「太陽の塔」を連想させる。

2.通天閣は広告塔としてのイメージも強いが、エッフェル塔も、1920年代から30年代半ばにかけて「CITROEN」のイルミネーションをつけ、広告塔の役割を果たしていた。

さて、エッフェル塔についての知識を少し得た上で、また知人から通天閣の話を聞くのが楽しみである。

エッフェル塔ものがたり (岩波新書 黄版 228)

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Is Paris Burning [DVD] [Import]

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ステラおばさんとアーミッシュ

肌寒くなると、暖かい飲み物と共に濃厚な味のクッキーが食べたくなる。ステラおばさんのクッキーを好きで良く購入しているが、ステラおばさんはペンシルバニア・ダッチカントリーで幼稚園の先生をしていた実在の人物で、クッキーやパウンドケーキを焼く名人だったという。
ダッチカントリーは、17世紀に、宗教迫害を逃れてきたドイツ系開拓移民が住みついた土地で、その中心、ランカスター郡には、聖書の教えに忠実にしたがって生きるアーミッシュと呼ばれる人々が入植当時と変わらぬ暮らしを続けている。
「アント・ステラ(ステラおばさん)」事業に着手したジョセフ・リー・ダンクルも、ペンシルバニアに生まれ、ステラおばさんからアーミッシュの話を聞いて育ったようだ。彼の著書アーミッシュの贈り物』は、アーミッシュの暮らしを春夏秋冬にわけて綴ったアーミッシュ入門書とも言える本だった。アーミッシュの格言や、料理のレシピ、道具の紹介なども織り込まれ、写真があればもっと良かったな、とは思うのけれど、代わりに豊富な挿絵がアーミッシュの暮らしを想像する手助けをしてくれた。

本の中に、アーミッシュの13歳の女の子の文章が紹介されていたのだが、宮沢賢治を連想させるようで印象的だった。アーミッシュの素朴で飾らない美しさが象徴されるような文章だと思う。

When I grow up…(わたしが大人になったら)
もしも、神様がわたしに体力と、健康と、能力をお与えくださるなら、人に手を貸し、一生懸命働きたい。
だれかが手助けを必要なら、わたしは、喜んで手伝いましょう。
それは、畑を耕したり、とうもろこしを刈り取ったり、また、作物の種まきのときなど。
乳搾りや納屋でのほかの雑仕事もすすんで片づけましょう。
うちの中に関して言えば、わたしはパンやお菓子を焼くこと、お料理、保存食作り、それと縫い物の才能があると信じています。
わたしは、親切な、信頼に値する、宗教心の厚い人になりたいと思います。
また、目立つことなく、地味な、恥ずかしがり屋でありたいと思います。
自分が他の人より優れているという気はありません。
いつでも鳥や花や風景など、この世のすべての創造物に目をとめ、心を傾けていきたいと思います。もちろん、ひまなときだけ。(ジョセフ・リー・ダンクル著『アーミッシュの贈り物』)


ペンシルバニア・ダッチ・カントリー―アーミッシュの贈り物

ペンシルバニア・ダッチ・カントリー―アーミッシュの贈り物

ビアトリクス・ポター

ピーターラビットの生みの親、ビアトリクス・ポターは、1866年ロンドンに生まれました。ピーターと仲間たちの世界は、ポターが幼い頃避暑にでかけた湖水地方での生活を背景にしています。自然の中で、ポターは動植物を観察し、スケッチしました。キノコの研究に関しては論文を書くほど優れた観察眼を持っていたそうです。ポターは、愛する湖水地方が開発され、その風景が破壊されるのを防ぐため、絵本の売上金で数々の農場を買い取り、ナショナル・トラストに寄付しました。
映画ミス・ポターは、ポターが女性としてどのように生きたのか、ピーターラビットの誕生までやその子ども時代を盛り込み、その恋を中心に描いた映画です。ポターは39歳の時にピーターラビットの出版元であるウォーン社の編集者からプロポーズされ婚約を交わすのですが、彼はすぐに病気で急逝してしまいます。その後、47歳で、弁護士ウィリアムと結婚するのですが、当時の女性としては遅い結婚といえます。アッパー・ミドル階級の女性として、結婚し家庭を築くことが良しとされていた中、独身女性としての生きにくさを感じつつも妥協せず、ついにはピータ・ラビットの作家として自立し、愛する自然をそのままに残したいという願望も自分の経済力をもって実現させたその生き方は、格好良く見習いたいものでした。

資料データ付きの本

1895年12月28日、リュミエール兄弟は世界最初の実写映画といわれる『工場の出口』や『庭師』をパリのグランカフェで上映した。その後シネマトグラフという新商品の販路拡大のため、専属技師たち50人ほどをメキシコや日本など世界各地へ送り出し、撮影と上映にあたらせる。
蓮實重彦リュミエール元年』には、古賀太構成・訳の「ガブリエル・ヴェールの手紙」が収められており、リュミエールの撮影技師の一人、ガブリエル・ヴェールがいかにして未知の世界にキャメラを向けたのか、その好奇心、驚き、興奮が活き活きと伝わってくる。NHKのドキュメンタリー番組映像の世紀には、彼ら撮影技師が撮ったと思われる貴重な映像が多く収められており、何度も繰り返しみるほどその番組が好きだった私は、あの映像のことか、などと思いだしながら文章を読んだ。
映像資料がリュミエール元年』に付録としてついていたらもっと良かったのに、と思う。もちろん本にはその様子を物語る詳細な描写や豊富な図版も収録されているけれど、もし私があの映像を思い出すことができなかったとしたら面白さも減っていたに違いない。語学学習の本などではCDがつくのが当たり前のようになっているし、DVDは大分廉価で量販されている。それ以前にインターネット上では多くの画像、動画が簡単に見られるようになっているのに、本と資料としてのデジタルデータのセット販売は存在はするけれど、数少ないように思う。著作権の問題などで難しいのだろうか。それとも作っても人気がないからなのだろうか。本にシリアルナンバーをつけ、インターネットであるサイトにアクセスすると、本を購入した人のみ映像を見ることができるとか、そんなシステムでもよいのだけれど、そうした本が一般的にならないのはなぜなのかと思う。そこまでするくらいなら本にする必要はなく最初からインターネット上のデータにしてしまうほうがよいということなのかもしれない。この境界は一体どこにあるのだろうか。

旬の愉しみ

『M嬢物語―鴨居洋子人形帖』を読む。彼女が作った数々の人形の写真が華やかなエッセイ本だ。鴨居洋子は下着デザイナーだけに、人形の下着も丁寧にデザインされ、どの子の下着もそれぞれ違って素敵。

人形エッセイを読むと、自分と人形との関係も思い出す。3歳のころ母がフランスから買い求めてくれたマリアちゃんが私の親友だった。母にはまた母の幼いころの親友、アメリカ人形のメリーちゃんがいて、私よりもはるかに年上。マリアちゃんもメリーちゃんも豪華なドレスやお道具をたくさん持っていた。私は器量がよくてドレスの似合うマリアちゃんになりたかった。娘が生まれた今、やはり娘にとって特別な存在になり得るような人形をプレゼントしたいと思う。

人形はいつでも話を聞いてくれ、ごっこ遊びのお相手をしてくれる。人形を中心に小さな世界を作ることができる。人形遊びの愉しみのひとつに服を着せ替えることがあるけれど、娘が出来て、親のエゴという後ろめたさを少し感じつつも、その愉しさを思い出してしまった。

セーラーカラーの水兵さんのような服を着せると、水兵帽も作ってかぶせてみたくなる。段ボールなどでお船を作りのせてみたくもなる。お人形も赤ちゃんも小さいから、必要なものを気軽に手作りできてしまう。大人になった自分向けに作るより自由度が高い。お人形遊びをしていたころ、もっとお人形の服や道具を作り、手芸や木工の技も身につけておいたらよかったな、と思いつつ、苦手な手先を使う仕事を少しずつしている。子供の好みが出てきたり、大きくなると出来なくなる旬の愉しみだ。

M嬢物語―鴨居羊子人形帖

M嬢物語―鴨居羊子人形帖

私は赤ちゃん

松田道雄著『私は赤ちゃん』を読む。1960年に発行された本だ。古本好きの私も、育児に関してはさすがに最新の知識が欲しいと、新しい本を何冊か読んだ。それらの本には、「昔は抱き癖がつくからすぐ抱っこしないほうがよいと言われたが、赤ちゃんが求めたら十分してあげるべき」とか「昔のように離乳を無理にさせようとするのではなく、自然に赤ちゃんが卒乳するのを待ってよい」など、過去の育児法を修正するようなことも多く書かれてあったので、『私は赤ちゃん』を今読んで参考になるようなことなどないのだろうな、と思いつつも、昔の育児に興味があり読んでみた。しかし、結果的に非常に参考になった。赤ちゃんを育てるうえでの親の心構えを指南してくれるような本だったからだ。日進月歩の医学的知識は古くなりもするだろうけれど、心構えのように精神的なものは知識ほど早く古くはならず、今でも十分通用する。この本が増刷され続けているということにも納得だ。話の中には、四角四面な対処を押し付ける医師や保健師、根拠のはっきりしない情報をばらまき親の不安を煽る人、またその情報に一喜一憂する親など登場するが、現代社会にも多くいる人種だ。著者は小児科医としてあくまで優しく、赤ちゃんの人権を尊重し、面白い読み物を通して親たちがどんなふうに赤ちゃんと接したたらよいのか自然にわかるよう導いてくれる。
大阪の朝日新聞に連載されていた話らしく、見開きで一話完結の物語になっている。タイトル通り赤ちゃんの目線で綴られた話なのだが、一人称が「ぼく」ではなく「わたし」となっているところからもわかるように、赤ちゃんが一人前の大人っぽいキャラクター設定で、一丁前のことを語る。そのイメージギャップがユーモアを生み出し笑いを誘う。時には社会に対する提言もなされているが、半世紀前からちっとも進歩していないなぁ、と思うことも多かった。何より、各話に添えられた岩崎千尋さんの絵がおしゃれで可愛らしい。

私は赤ちゃん (岩波新書)

私は赤ちゃん (岩波新書)