プレカリアート

プレカリアートは、イタリア語の「precario(不安定な)」と英語の「proletariato(プロレタリアート)」を組み合わせた言葉で、2003年、イタリアの街路に落書きされたことから広まったようだ。不安定な雇用状況にある人々の総称である。

私も、プレカリアートだ。実は、私は、プレカリアートの相談役を(自分自身もプレカリアートなのに)仕事としてしたことがある。どんな仕事がその人に向いているのかその人自身わからないという場合は一緒に考え、その人が希望の職に就くためにはどのようにしたらよいか、アドバイスする仕事だ。求人もたまに紹介する。その仕事をしていてやりきれないな、と思ったのは、ほとんどの人が、年齢、学歴、健康状態などによって選択肢を狭められ、もう希望など言っていられない状況の中で職を選ばざるをえなくなっているということだった。

表向き、よほどしっかりした理由がなければ、求人には年齢、性別の制限を加えることは出来ないということになっているが、もちろん、求人側は採用したい人物像をきちんとイメージして求人を出す。どんな人を必要としているのかはっきり書かれないことで、求職者側は、無駄に面接を受けたり、一時の希望をもったりする。門前払いにならない、ということは、まあよいと言えることだが、現状としては、年齢、性別の制限が求人に書かれていた頃とそんなに変わってはいないだろう。

大学のとき、誰でも出来るような、例えば試験監督などの仕事をする度に、どうしてこれ、ホームレスの人がやったらダメなのかな、と考えたりした。(やったらだめというのは、制度上そうなっているということではなく、現実にやっている人がいないようにみえるという意味で。)どうして、ただ、試験をみはっているだけで、こんなに高いお金がもらえるのだろう、と思っていた。今日、明日の食べ物に困っているわけでもない大学生に職が簡単に与えられ、報酬が支払われて、今日仕事がなければ生存も危ぶまれる人に職が与えられないということが不可解だった。今でも、そのことについて考え続けているのだがわからない。

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