死のイメージの遊園地

最後に遊園地に行ったのはいつだったか、たぶん、8年くらいも前だ。これから死ぬまでに遊園地には何回行くことがあるのだろうか、観覧車やジェットコースターには何回乗るのだろうか。

エキスポランドでのジェットコースターの死亡事故と韓国での観覧車の死亡事故が続いておこり、遊園地に、死のイメージをますます強く持つようになってしまった。小さい頃は、遊園地が好きだったけれど、大人になってからは、遊園地が何となく怖い。

昔は栄えていただろうけれど、今はほとんどの店がシャッターを下ろしている商店街や観光地、バブルの頃に建てられたと思われるキッチュな豪華さを持つ外観や内装の現在では人気のない旅館やホテル、デパート。そんなところに感じるものと同様のものを、遊園地に感じてしまう。その遊園地が賑わっていたとしてもだ。そういう場所に行くと死者の国に迷い混んでいるような気分になる。ノスタルジーはノスタルジーでも怖いノスタルジー

そういう場所は1人では行きたくないけれど、誰かと一緒に行くのならそんなに嫌でもない。1人だと、その世界から現実に戻れなくなるような気がして本当に怖いけれど、誰かと一緒だと、非日常の空間としてそこを愉しむことが出来る。

死のイメージを持つ空間として行ってみたい場所はいろいろあるけれど、東京タワーの蝋人形館なんか、近々行ってみたい。残酷な拷問場面や死刑執行場面も再現されているようだから、気持ち悪そうだけれど、とにかく蝋人形というものを間近でみたことがないので、みてみたいと思っている。

というのは、ちょっと前『肉の蝋人形』(1933年)という映画を観たからだ。基本的にホラー映画は苦手なのにその映画を観ることにしたのは、怖がりたい気分だったからなのだけど、結局その映画は全然怖くなかった。どういう場面になるか簡単に想像がつく感じだったからだと思う。この映画は、1953年と2005年にもリメイクされていて、どちらも観てはいないけれど、2005年版はものすごく怖そうだ。

遊園地、怖い怖い、と書いたけれど、回転木馬には夢があると思う。死のイメージは拭えないけれど、決して怖くはない。回転木馬には大人は似合わないから、現実にはもう乗りたいとも思わないけれど、その代わり、映画回転木馬のサントラの中の「カルーセル・ワルツ」はよく聴く。回転木馬といったらこの曲しかなく、この曲さえ流れると回転木馬に乗っているような気になれる。

回転木馬 [DVD]

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