読んでみるものだ


『存在の耐えられない軽さ』で有名なミラン・クンデラ『緩やかさ』という小説を読んだ。ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』は読んだことはないし、映画さえまだみていない。彼の他の作品についても読んだことはないので、はじめて読んだのがこの本になる。

ミラン・クンデラには、難解だというイメージがつきまとっていて、この本も読んでみて難しかったらすぐに読むのをやめようと思っていた。ただ、ページ数も多くなく字面を追うだけなら何とか読めそうな気もしたので手にとることにした。

結果的に、この『緩やかさ』に関しては、難しくも何でもなく面白く読むことが出来た。これは彼がフランス語で書いたはじめての小説のようで、もしかしたら他の作品と違う雰囲気なのかもしれないけれど。

この小説は、51章に区切られているけれど、そして、小説なので、もちろんその章はつながっているのだけど、部分だけを読んでも充分愉しめる性質を持つものだと思う。登場人物の思っていることとも、著者の思っていることとも、どちらともとることが出来る説明的な文章が挿入されているのも気に入った。というのも、ただ、面白いだけの小説ではなく、何かためになるような小説を読みたいと思ってしまう貧乏性の私は、説明的な文章が出てくると得をした気分になるのだ。
後半部は、どんどん視覚的なイメージが刺激される文章になり、読後は、無声映画をみた後のようだった。
と同時に、この小説は、フランス十八世紀のリベルタンの作家ヴィヴァン・ドゥノンの『明日はない』が軸となっている話なのだが、その書評を読んだみたいな気分にもなった。
先入観からかもしれないけれど、どこかチェコのセピア色の幻想的な空気も感じ取られ(舞台はチェコではないけれど、チェコの学者は登場する)、彼の他の作品を読むことへの抵抗はこの作品のおかげでなくなった。

緩やかさ

緩やかさ