パチンコと日本人

外国人の目からみると日本はどう見えるのか、ということを知るのは面白い。ドナルド・リチー『イメージ・ファクトリー』は、そういう理由でぐいぐい読むことが出来た。早速、訳者あとがきで、日本人はとりわけ「日本文化論」を好きな民族であると書かれており、ぐいぐい読み進んだ私は、「見透かされていたか・・・」とちょっとがっかりしたけれど。

「日本文化論」を読むことが日本人にとって「愉悦」となりうるのは、日本人が常日頃から如何に「他者の視線」に苛まれつつ、同時にそれを存在の基盤としているかということの裏返しでもあるだろう。(『イメージ・ファクトリー』ドナルド・リチー

日本のセックス産業、マンガ・カルチュア、若者のファッションなどについて日本に詳しい米国の評論家が書いたこの本を読むちょっと前、日本の文化(主にマンガ、ファッション)に憧れるフランスの若者のニュースをみた。彼らの日本文化への傾倒ぶりをみるにつけ、忍者とか芸者とか武士とかの時代ではない現在でも、やっぱり日本は、外国人の目からみると特異な精神性をもつ、エキゾチックな国とみられているのだろうな、と思う。

カラオケを「電気芸者」とみなしたり、パチンコに仏教との類似性をみたりするセンスは外国人の視点ならではのような気がする。

データをでみてあらためて驚いたのは、マンガの最盛期1995年頃、漫画雑誌産業は年間20億ドル以上を売り、もっとも広く読まれた漫画は、400万部に達する売り上げだったこと。(それは大阪の人口の半分に匹敵するようだ)

ドナルド・リチーは、漫画人気の背後には文盲性があるのではないかと指摘する。

日本人は何かにつけて日本の識字率は世界最高であると嘯くが、実際には日本における識字率の基準は他の国々と同一ではないのである。日本では、たとえ高校を出た者であっても、そのほとんどはたったの数千字の感じしか読むことができず、たとえば三島由紀夫のように、稀少な用語や難解な言い回しを好む作家の作品には歯が立たないのである。(『イメージ・ファクトリー』ドナルド・リチー

とは、ひどい言われようだけれど、当たっている感じもする。

パチンコの章が、特に面白かった。マンガやカラオケが海外にも輸出されているのに対し、パチンコはほとんど海外に出ていない。そんなパチンコだが、連日二千万人以上の日本人がこれに熱中しているようである。

パチンコ屋はある意味で神社であり、寺院である。それは座禅を連想させる。座禅の目的のひとつは、自己の滅却による自己からの解放である。(『イメージ・ファクトリー』ドナルド・リチー

イメージ・ファクトリー―日本×流行×文化

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