文章に書かれた貧乏

あまりにお金がなくなりすぎて、赤瀬川原平(選)『全日本貧乏物語』を読んで参考になる箇所はないか探してみた。参考にはならなかったが、悲惨なまでの貧乏を描いているのになぜか笑える文章が多く、皆、たくましくやっているな、と、本を読むまでは現状脱却策を考える気さえほとんどなくしていたのに、やる気が出た。

森茉莉の「贅沢貧乏」も、もちろん入っていた。何度読んでも良いな、と思う。

今日も牟礼魔利はお気に入りの洋服で緑と藺草色の縄の籠を下げ、下北沢へお出かけである。道すじにある貸本屋、鳩書房の女の子は、硝子扉の中から魔利の通るのをみとめた。そうして、こう呟いたのである。
《あら、牟礼さんが通るよ。この前持って行ったクリスティは、そうだ今日で二百円になっているわ。どうするのかしら。暢気な顔して、もう行ってしまった。お婆さんの割に足が速いわね》(森茉莉「贅沢貧乏」)

こんなお婆さんになりたいものだ、とこの箇所を読む度に思う。

東海林さだおの「漫画行商人」には、彼の売れっ子になる前の生活がどんなものであったか描かれていて「へぇー」と思ったし、尾辻克彦の「少年とグルメ」は、最近読んだ文章の中で、もっとも気持ち悪くも笑える文章だった。いや、気持ち悪い、とか、可笑しいとか思えないほど悲惨なはずなのだけど・・・

赤瀬川原平による解説では、文章に書かれた貧乏がどうして楽しいのかについて考察されてもあり、それがまた面白い。さすがは、「少年とグルメ」の尾辻克彦だ。やっぱり「少年とグルメ」に書かれていた話は本当のことなんだろうなぁ・・・