大人のための童話

オデットというと、まず思い出すのが白鳥の湖のオデット姫だ。『オデット』のオデットも、白鳥の湖のオデットのイメージとどこか重なる清らかなキャラクターである。なんて、耽美な文章なんだろう、と思いながら読み、こてこてに耽美な短い物語(「こてこてに」なんて、耽美にくっつけるにはふさわしくないようだけれど)とか書いてみたいなと思ったりしながら、「大体どんな話か予想がつくな」と高を括りつつ読み進めた。というのも、これは、大人のための童話で、私は大人のための童話というのはそんなに読んだことがないのだけれど、性的な描写があるか残酷な描写があるかどちらかなのだろう、と想像していたからだ。

予想通りの展開とはならなかった。でも、これは確かに大人のための童話であり、こういう大人のための童話もあるのだな、と思った。

山本容子の画が数ページを除き、ほぼ全ページに描かれている絵本のような美しい本なのだけれど、山本容子の画というのも、大人のための童話に似つかわしいと思った。私は子供の頃、この人の描く絵をそんなに好きと思うことができなかった。宇野亜喜良の絵についても同じだ。それなのに、大人になってからどちらの絵も好きだと思うようになった。わさびが食べられるようになるのと似たような感じだ。音楽などについても、そういうことはある。視覚や聴覚、味覚が何を快とし、何を不快とするか、そんなに簡単に変化するとは思えないのに(老化現象は考えないものとすると)、成長する過程でこういう変化がたくさん起こったことを本当に不思議に思う。いろんな経験を重ねたからなのだろうか。理由はちょっとわからないけれど、今後も大いに変化することを期待する。そんなに好きと思っていなかった事物を好きになれるって、嬉しい。

オデット

オデット