西鶴を読む前に…
元禄文化の庶民的で華やかなイメージは、割と好きだ。最近、井原西鶴をきちんと読みたいなと思っていて、まずは背景から…と『元禄文化−遊芸・悪書・芝居』を読んでみた。「遊び」の側からみた元禄町人文化論である。
元禄期には、学問や文芸といった教養に類するものが、歌舞・音曲などとまったく同じ質のものとして、違和感なく同居し、町人たちの遊芸の世界を構成していたという。医師や学者、芸人が同列に扱われ、医術も学問も芸能も、職業的文化人によっていとなまれるだけではなく、すべてが素人にも教授され、素人が享受するという構造のなかに位置していたということだ。芸事が教養とみなされていたという風ではなく、どちらかというと学問が芸事とみなされていたという風なのが面白い。
町人社会に支持された文化は、分野をとわず、あたかも、<ものみな遊芸する>という顕著な特色をもっていたかのようにみえる。その意味では、近世町人文化なるものの実態は遊芸であったと断言しても、かならずしも、いいすぎではなかった。(守屋毅『元禄文化−遊芸・悪書・芝居』)
17世紀を通じて、芸能者の社会的な存在には大きな変化が起こったようだ。自己の鍛錬にはげむ求道的な芸能者が、素人を相手に芸を享受する啓蒙家としてあらたな存在の形態を確立していったのである。かれら「諸師」にとって、名人・上手であることより重要とされたのは、素人を教授する能力であったらしい。中世やそれ以前、求道的芸能者がしばしば有力な特定の保護者のもとにあってはじめてその道を求める生涯を許されたことに対し、啓蒙的芸能者は、町人大衆を基盤にして存在するので、権力との個人的隷属関係から脱出する道がひらかれた。
このような背景で、「遊び」をする町人の姿が西鶴や近松の作品にあらわれているのだ。
「ねがひあれどもかなへず、銭あれども用ゐざるは、全く貧者とおなじ、何を楽とせんや」(『好色破邪顕正』巻下)という意識があからさまに自覚されるのも、元禄の世相なのであった。彼らは、すでに消費というものの魅力にそまってしまっていたのだった。(守屋毅『元禄文化−遊芸・悪書・芝居』)
さて、次はいよいよ西鶴の作品といきたいところだけれど、好きな富岡多恵子の『西鶴の感情』も入手してあるので、まだまだ予習をする予定だ。というのも、日本の古典をあまり読んでいないので、今すぐ読んでみても難しすぎてリタイアしそうだから…
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