『家族の肖像』と『生きる』

ヴィスコンティ『家族の肖像』は、気難しく孤独な老教授が家族というものの良さに気付くというだけの話ではない。若者と老人、異なる世代の価値観の違いなどもこの映画の重要なファクターなのだけれど、それが深刻なものとしてだけではなく、ユーモラスにも描かれていたので、重い映画のはずなのだけれどあまり疲れずに観ることが出来た。バート・ランカスターは、黒澤明監督『生きる』志村喬と同じくらい、その表情のひとつひとつが心に残る名演をみせている。『生きる』を連想してしまったのは、どちらの映画も、「老年にさしかかった男が自分の人生をみつめなおす」というストーリーであるというほかに、『家族の肖像』の登場人物、リエッタが唱えたW・H・オーデンの詩『五感の楽しみ』と、『ゴンドラの唄』がすごく似ているからだ。

美しい姿を見たら、追いかけよ
できることなら、それを抱擁せよ
少女であれ少年であれ
恥ずかしがるな、大胆になれ、ずうずうしくなれ
人生は短い、ならば楽しめ
触れたものなら何でも
体が求める時にはそうせよ
墓場にセックスはないのだから
(W・H・オーデン『五感の楽しみ』)

いのち短し 恋せよ乙女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを
吉井勇『ゴンドラの唄』)


ところで、私は成瀬巳喜男監督『流れる』を観て以来、何か女中、家政婦、召使、執事的な存在がどうも気になってしかたがない。映画に出てくるそのようなキャラクターを、気がつけばついつい目で追っていて、「肝心なところを見逃しているかも」と不安になるくらいだ。この『家族の肖像』でも、家政婦のエルミニアがかなり良い味を出していたように思う。

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