アテナイの夜の鳥 Athene noctua

ミネルヴァの梟は黄昏を待って飛び立つ」ヘーゲル法哲学』)という一節はあまりにも有名だ。

賢い老いたフクロウが
カシの木に住んでいた
彼は多くを目で見て控えめに話した
控えめに話して多くのことを耳にした
なぜ我々は賢いこの鳥のように
なれないのだろう

こちらは、『マザーグースの歌』より。

フクロウのモチーフは、知性と学芸を象徴するものとして広く愛されている。以前、全国の本屋(古本屋含む)のHPを順番に見続けたことがあったのだけれど「フクロウって本当に本屋に好かれているな」と何度思ったことか。フクロウは眼鏡屋や学習塾などにもまた好かれている。「フクロウ先生の出てくる参考書で勉強したことあるな」などと、フクロウについて想いを巡らすきっかけとなったのが、飯野徹雄著『フクロウの文化誌』だ。

フクロウは、学芸の使徒としての性格を持つ一方で凶鳥としての性格も併せ持っており、シェイクスピアの戯曲などでも凶鳥としてのフクロウが多く登場する。その凶鳥としての性格は、キリスト教の絶対的支配下にあった中世ヨーロッパにおいてクローズアップされるのだが、理由のひとつは、フクロウが仕えたミネルヴァ(アテネ)が多神教の神々の仲間であり、一神教キリスト教の伝播と共にその神性を失ったことであるようだ。

魔女の使いや死の予告者というレッテルを貼られる一方「教会フクロウ」という名前で呼ばれたりもするメンフクロウについての記述も興味深かった。顔面がハート形で、いかにも面をつけているようにみえるからこの名前をつけられたというメンフクロウ。メンフクロウに限らず他のフクロウもそうなのだけれど、鳥のほとんどが顔の両側に眼をつけているのに対し、フクロウは、人のように顔の全面に両眼が並んでいるので、ついつい擬人化したくなってしまう。絵は得意ではないけれど、メンフクロウを擬人化して描いてみたくなってしまった。

そんなフクロウの眼の構造についてから、日本文学のなかにおけるフクロウ、民芸品としてのフクロウ、絶滅の危機にあるフクロウの保護運動にまで話は及び、著者のフクロウに寄せる愛情がこちらにたっぷり伝わってきた。私も、以前よりフクロウ好きになった。

この本に紹介されていたフクロウが出てくる物語として、今度読んでみたいのはアルハンブラ物語』

アルハンブラ物語 (講談社文庫 あ 31-1)

アルハンブラ物語 (講談社文庫 あ 31-1)