KIKI

tartaruga2007-12-02


キキが絵を描も描いていたなんて知らなかった。キキは、キスリング、マン・レイモディリアーニユトリロ等多くの芸術家に愛され、いかにもシャンソンに唄われそうな波瀾に満ちた人生を送った女性だ。(実際シャンソンに唄われていたような気もする)

彼女は美しくて、瑞々しかった。肌は牛乳のような色をし、細かい、よく光る歯を持っていて、彼女はそれを見せびらかすために好んでバラの茎を口にくわえていた。唇は肉感的で、金ボタンのような大きな目に密生した睫毛が深い影を作っていた。髪の毛は真黒で男の子のようにぴったりとなでつけてあった。以上のようなのが、キスリングやフジタや、フリエズや、マイヨールに可愛がられたキキであった。彼女はパリの舗石の間から時々発生するあの奇蹟的な子供の一人であった。(J・P・クレスペル『生きているモンパルナス』

キキの写真をみたら、その陽気で自身に満ち溢れた表情に元気を与えられる。写真からさえもこんなに伝わってくる彼女の生命力や明るさは、実際接したらなおのことだっただろうから、多くの人に愛されたのは無理がない。そんなキキの回想記である河盛好蔵(訳)『モンパルナスのKIKI』には、キキ自身の手による挿絵がつけられており、画家として個展を開いたときの絵も(白黒なのが残念ではあったけれど)収録されている。

キキの描いた挿絵は、どこかエーリヒ・ケストナーの本の挿絵で有名なヴァルター・トリヤーの絵や、カレル・チャペックの兄のヨゼフ・チャペックの絵、中公文庫『地下鉄のザジ』の挿画(ジャック・カルルマンの絵?)などを思い出させるような温かく素朴な、そしてユーモアにも溢れる絵で、「モンパルナスの女王」と呼ばれるのに相応しく迫力があり、ヴァンプっぽい雰囲気もあるキキとは、パッと見、すぐには結びつかない。けれど、この本を読んで、キキの人柄を知るにつけ、キキがこういう絵を描く人であったことを不思議なこととは思わないようになった。

回想記に書かれたキキの半生は、まさに「その日暮らし」(その後の人生の大半もそうであったようだけれど)。私生児として、ひどく貧しい中で育ち、女中も、モデルも、ブドー酒の瓶を洗う仕事も、ボール箱を作る仕事もなんだってやったみたいだ。

いつも寝る場所があるとは限らないわたしは、あちら、こちらと泊まり歩いた。結婚している人たちの家にいちばんよく泊った。わたしは心底から陽気だったので、貧乏が少しも苦にならなかった。人を呪う、暗い、陰気な言葉は、わたしにとってはヘブライ語と同然で、ちんぷんかんぷんだった!その上、私は病気というものを知らなかった。(キキ『モンパルナスのKIKI』)

キキは本当に素敵でかっこいい。

モンパルナスのキキ (1980年)

モンパルナスのキキ (1980年)