イヨマンテ

先日、アコーディオンに合わせて祖父母にいろいろ昔の曲を歌ってもらった際、祖母に「黒百合の歌」、祖父にイヨマンテの夜」を教えてもらった。「黒百合の歌」は1954年、織井茂子が歌ってヒット。「イヨマンテの夜」は1949年発表、伊藤久男が朗々と歌って以来、のど自慢でも良く歌われるようになった曲のようだ。「黒百合の歌」のほうは、映画版『君の名は』(第二部)の主題歌だったし、「イヨマンテの夜」のほうも、NHKのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』で使用されたようで、どちらも第二次世界大戦を体験した世代の人はよく知っている曲なのだろう。彼らが経験した領土が拡張されていく感覚と異国風のメロディはどのように結びついているのだろうか。1962年田端義男の「島育ち」がヒットしたことや、1963年に三沢あけみの「島のブルース」がヒットしたことについても思うのだけれど、エキゾチックな要素を持った歌を人々はなぜ欲するのだろうか。それは、私達の異国を対象とした心の鏡像なのだろうか。最近でも、沖縄の歌ブームがあったけれど、アイヌをテーマにした曲がブームになることは今後あるのだろうか。そのとき、それはどんなかたちの曲になっているのだろうか。

前置きが長くなったけれど、今日もアイヌドキュメンタリー映画を観てきた。スコットランド出身の医師、ニール・ゴードン・マンローという人が1930年代に「イヨマンテ(熊祭り)」を記録した貴重な映像だ。「イヨマンテの夜」に出てくる熊祭りとはどのような祭りだったのか、また1930年代アイヌの人々が、どのように生活をしていたのかを垣間見ることが出来、アイヌについて考えるきっかけを与えられた。小学校の修学旅行で北海道に行き、アイヌの踊りを観たのだけれど、何かを受け止め心にしまいこむようなしぐさの踊りを映像でみたら、そのような踊りを実際にみたことやその時の歌の旋律を鮮明に思い出した。お土産に購入した木彫りのマスコットに名前を彫ってもらったのが嬉しかったこともまた思い出した。

イヨマンテは、仔熊の魂を天上に送る儀式である。熊を殺すというこの儀式は、野蛮なものであると動物愛護の観点からしばしば批判された。アイヌ民族博物館のHPを参考にみてみたのだけれど、そこには注意深く「当館では、異民族の文化を認めることができない方からの批判には、お応えする用意がありません。その点をご了解のうえ、ご自分の判断と責任に基づいてご利用ください。」と書かれており、そのページを読んでからでなければ、イヨマンテの詳しい説明のページを閲覧できないようになっている。それだけ、「動物虐待」と騒ぐ人が多いのだろう。殺される仔熊は確かに可哀相にみえる。しかし、アイヌの人々が、小熊を大切に育て、神に感謝し、そして小熊のことを慈しみながら殺し、それからそれを解体し、あますところなく皆で分かち合っている姿をみたら、肉を普段食している私など、とても批判する気になれなかったし、残酷なようにも思えなかった。では、殺し方がもっと残酷なものだったらどうなのか、同じ殺すのでも、その理由によって、許容範囲が変わってくるのか、など考えると難しい問題なので、この先ももう少し考えてみたいと思う。もう、熊祭りは行われていないようではあるけれど。

黒百合の歌

黒百合の歌

懐かしの歌声名曲集/イヨマンテの夜

懐かしの歌声名曲集/イヨマンテの夜