ありがとうヴォネガット

二十歳の頃の若者のような、もう二度と出来ないと思っていた“震えるような読書”が再び出来て本当に幸せだった。

2007年4月に亡くなったカート・ヴォネガットの最後の著作『国のない男』の帯に書かれた太田光の言葉の一部だ。まさに、太田と同じことを思った。

お知らせというのはこれだ。わたしはポール・モール(ペル・メル)の製造元であるブラウン&ウィリアムソン・タバコ・カンパニーを相手に十億ドルの訴訟を起こす。わたしはまだ十二歳のときからたばこを吸いはじめたのだが、絶えず吸い続けたのは両切りのポール・モールのみだ、そしてもう何年もの長きにわたって、ブラウン&ウィリアムソン・タバコ・カンパニーはパッケージに書いて、わたしを殺してくれると約束してきた。
ところが、わたしはもう八十二歳だ、この嘘つきどもめ!いま、この地球上でもっとも大きな権力を持っているのは、ブッシュ、ディック(ディック・チェイニー)、コロン(コリン・パウエル)の三人だ。何がいやだといって、こんな世界で生きることほどいやなことはない。(カート・ヴォネガット『国のない男』)

ヴォネガットが、この本の言葉を綴っていたのは82歳頃。私は若さを賛美したり、齢を重ねる毎に感性が鈍ると思っているわけではないけれど、この本の全篇を通じてヴォネガットの言葉から若者のように瑞々しい感性が感じられることにちょっとびっくりした。ヴォネガットは、すごくまともなことを言っているし、かなりの知識人だけれど、新聞の論説などにありがちな、どこか「自分とは関係ないよ」というような冷めた目線で言葉を発していない。アメリカや世界に失望しつつも、同時に愛を持っているからこそ、ホットな文章を書けるのだと思った。そういうところが、いろいろ諦めを積み重ねる前の若者の感性に通じる部分なのではないかと思う。世界を心の底では見限っておらず、まだ希望を残している感じが素敵なのだ。私も、若者とは言えない年齢になっているけれど、この本に“震える”だけのものはまだ残っているみたいで一安心。

唯一わたしがやりたかったのは、人々に笑いという救いを与えることだ。ユーモアには人の心を楽にする力がある。アスピリンのようなものだ。百年後、人類がまだ笑っていたら、わたしはきっと嬉しいと思う。(カート・ヴォネガット『国のない男』)

こんなおじいちゃんがいたことが嬉しい。表紙のヴォネガットの写真、久々に生徒手帳に好きな写真を入れて持ち歩いていた頃のように携帯したくなり、とりあえず、携帯電話の壁紙にしてみました。

国のない男

国のない男