社会の乳母

独身者たちの「近代」は、「家族」を中心とした、伝統的コミュニティを解体する。そこに「個人」が生まれる。自立した平等な「個人」のイメージは、「独身者」のイメージを影にして、「近代」の出発点に立っているのである。しかし、それは孤独な「個人」でも「独身者」でもなかった。伝統的なコミュニティにかわる、新しいコミュニティが形成されてもいた。それが、「独身者」を中心とした友情のコミュニティである。(土屋恵一郎『独身者の思想史―イギリスを読む』序より)

十八世紀を準備したロックや二十世紀を準備したベンサム―「近代の社会や人間の見方のなかに編みこまれている独身者のイメージについて語ること、それは近代の起源と基礎に触れることに他ならない」とする土屋氏により『独身者の思想史―イギリスを読む』の中で語られるイギリスのいずれも名立たる独身者たちの考え方・生き方は、なるほど彼らが現代に生きていたとしても違和感ないくらい「近代」を象徴している―というのは間違いで、現代に生きる我々のほうが、当時は相当にスキャンダラスであった彼らの考え方・生き方の上に成り立っているのだということを十分私に感じさせるに足るものだった。彼らについて知ることは現代について考える上でも非常に参考になる。

そんなに時を遡らなくてもよい1988年のこと、イギリスで承認されることになった地方自治体条例二十九条にデイヴィッド・ホックニーが抗議した。この二十九条とは、「地方自治体が意図して同性愛を助長することを禁止する」という内容のもので、たとえば公立図書館やブックセンターでの同性愛をテーマとする書籍、ヴィデオ等の展示、販売を禁止する、同性愛にかかわる演劇、音楽等を自治体主催のイヴェントから排除し、自治体が運営する建物の使用を禁止するといったねらいを持った条例である。

ホックニーはその夏、ブラッドフォードの公立図書館に出かけた。カタログでギリシアの詩人コンスタンティノス・カヴァフィの項目を調べた。カードにカヴァフィはのっていて『全詩集』があるとしてあったがそこには注記があって、その本は棚にはおかれていないので希望者は貸出を申し出るようにと書かれていた。
ホックニーはその詩集を何週間も借り出してその虜になってしまった。そしてなぜこの本が隠されているのかを考えた。そこにはギリシア的エロスを、プラトン的愛を、人々の眼から隠そうとする意図がある。ホックニーはその意図を激しく嫌悪した。図書館員はそれで傷つく無垢なる者たちを守ろうとしたわけだ。Nanny England―おせっかいやきの乳母(ナニー)のイングランド。(土屋恵一郎『独身者の思想史―イギリスを読む』)

ホックニー酒類販売免許方が酒の販売時間を規制していることも知った。イングランドの精神の貧しさ。そこにはなににでも首を突っこんで、自分たち以外はすべて子供であるかのように口うるさく指示するナニー・イングランドがいるのだ。
どんなに不満をならべてもイングランドはなにも変わらない。ホックニーは自分の好きなところに生活するというイギリス人固有の権利にしたがってアメリカに行った。(土屋恵一郎『独身者の思想史―イギリスを読む』)

どうやら現代の政治のレトリックを支えているものはこのナニー・システムのようだ。法と社会が福祉とか健康を看板にしておせっかいやきの乳母のように登場してきているというイメージは、私個人も何度も抱いているので、とても想起しやすい。

今も生きているこの著名なアーティスト、ホックニーは理論によって語らなかったが、彼の言いたいことをはっきりと理論によって言おうとした最初の英語国民は、功利主義者のベンサムであったようだ。長くなるのでベンサムの思想についての引用は控えるけれど、ベンサムの同性愛論の概要を、この本で確認できたことは大きな収穫だった。ベンサムについてはもう一度勉強しなおしたい。

独身者の思想史―イギリスを読む (Image Collection精神史発掘)

独身者の思想史―イギリスを読む (Image Collection精神史発掘)