元祖ゴジラ

川本三郎今ひとたびの戦後日本映画』を読んだ。紹介されている映画は既に観たことのあるものがほとんどだったのだけれど、映画を観ただけでは読み取ることが出来ていなかった戦後の日本人の心情や歴史的背景が詳しく説明されているこの本を読むことで、各々の映画や映画監督、俳優などへの思い入れが更に増し、「今ひとたびの」というタイトルに従って今一度戦後日本映画を見直したくなった。
紹介されている映画のうち、昭和29年に公開された元祖「ゴジラ」は観たことがなかったのだけれど、この映画について書かれた「ゴジラはなぜ暗いのか」という章は特に興味深かった。後のゴジラシリーズを見慣れている私には「ゴジラ」が原爆の申し子であるというということを知ってはいても、これが「怪獣映画」ではなく「戦争映画」であるという認識が全くなかった。でも、元祖「ゴジラ」は、東京大空襲を思わせるに充分な暗さを持ち、子供ではなく大人を意識して制作されたものらしい。川本氏は、元祖「ゴジラ」を、生き残った戦中派の心情が無意識のうちにあらわれた映画であるとし、これは「戦災映画」「戦禍映画」である以上に、第二次大戦で死んでいった死者、とりわけ海で死んでいった兵士たちへの「鎮魂歌」ではないか、ゴジラは戦没兵士たちの象徴ではないか、という見方をしている。

ゴジラ」は決して、怪獣が暴れまわるだけの荒唐無稽な映画ではない。戦中派の心情が無意識のうちにあらわれた「暗い」映画である。生き残った戦中派は、「ゴジラ」を作り、一度、死者たちに詫びる必要があったのだ。そして、平田昭彦扮する芹沢博士の死後、おそらくは明るく結ばれるであろう宝田明河内桃子たちの世代がやがて次々に、明るい「空想を空想として楽しむ」怪獣映画を作っていくのである。それは、日本社会が「戦後は終った」と宣言して、高度成長の時代に入っていく過程と見合っている。その裏で、“みづくかばね”となったゴジラと芹沢博士が「死者を忘れるな」といい続けているに違いない。

というわけで、元祖「ゴジラ」を観たいのだけれど、気軽に観ることも出来そうにないので、精神力が漲っている時に観ようと考えている。

今ひとたびの戦後日本映画 (中公文庫)

今ひとたびの戦後日本映画 (中公文庫)