電子辞書ももっている

金井美恵子は、1987年に岩波市民セミナーで三日間にわたる小説論の講義を担当したらしい。その内容は金井美恵子『小説論−読まれなくなった小説のために』で確認できるのだが、金井氏が岩波市民セミナーの講師をしたことがあったなんて意外であった。今後もそのようなセミナーがあるようなら是非参加したいところだけれど、残念ながらそして当然ながら『小説論−読まれなくなった小説のために』のあとがきには「思い出すと、実にぞっとする経験で、今後そういうことをすることは二度とないと思います」と書かれている。フロベールナボコフの引用及び言及が多く、特にナボコフ『ヨーロッパ文学講義』は実に面白そうと思ったのだけれど、この文学講義のなかでナボコフは正しい良き読者の定義として、「想像力をもっていること」「記憶力をもっていること」「辞書ももっている」「なんらかの芸術的センスをもっていること」の四つを挙げているらしい。別に驚くような意外な定義ではないけれど、「辞書ももっている」ということが、他の三つに較べると強いて言うなら異質である。「辞書ももっている」ということが挙げられてたことについて、私は無闇に反応してしまった。
実は、私は最近英語の勉強に力をいれはじめたこともあって、電子辞書を思い切って購入したばかりなのだけれど、電子辞書を持ち歩くようになってから、世界が広がったような感じがしている。インターネット環境が自宅に整ったときも同じことを思ったのだけれど、気になったことをすぐに調べられるというのは本当に気持ちが良いものだ。今まで、知らない言葉に出くわしてもすぐに調べられず、そのまま忘れてしまい、また同じ言葉に出会ったときに再びわからなくて後悔したことが何度あったことか。もっと早く電子辞書を購入して携帯していたらよかったと思っている。紙媒体の辞書への愛着のほうが未だに強いけれど、単語の発音まで音声で聞くことが出来たり、暗闇でも液晶の文字が読めるようにバックライト機能などがついている、何といっても持ち運びに便利な電子辞書とも仲良くお付き合いしていきたい。
話が大きく逸れてしまったけれど、『小説論−読まれなくなった小説のために』には「小説のもつ快楽的な側面、簡単にいえば楽しみとか贅沢、そういう現実的な効用をもたない世界をもっと、読書を通じて豊かに回復したい、と言うと立派にきこえるのでしょうが、小説は読みたい人だけが読めばいいのです」「頭はよくならないけれど、読者は、そう『豊か』になります」というようなことが書かれてあり、素直に「そうか」と思った。そこから何かを学べるかもと思いながら本を読んでいた欲張りな私は、そんなにがつがつしたダサい態度をとらずに、まずは「辞書ももっている」以外の三つの条件をそろえ良き読者となり、もっと本を読むということの贅沢さを満喫しなければ、と思った。辞書を引きながら読んだら言葉は覚えられるのだし。

小説論 読まれなくなった小説のために (朝日文庫 か 30-3)

小説論 読まれなくなった小説のために (朝日文庫 か 30-3)