世の中全体がかかっている催眠術

SALGADOの写真集『SAHEL THE END OF THE ROAD』を久々に観た。チェーホフ『すぐり』に出てくる言葉が思い出されたので、それのみ引用しておきたい。

実際にこの世には、幸せで満足している人々が何と多いことだろうか!それは何と圧倒するような力だろうか!現実の生活に視線を向けてごらんなさい。強者のあつかましさと怠惰さ、弱者の無知と家畜同様の生活、まわりは想像を絶する貧しさ、狭苦しさ、退廃、泥酔、偽善、うそ、……にもかかわらず、全ての家も通りも静寂と平安に満ちています。町に住んでいる五万の住人の誰一人として叫んだり、憤慨したりする人はいないのです。食料品を求めて市場を歩き廻り、昼は食べて夜は眠り、くだらないことをしゃべり、結婚して老い、近親者の亡骸を心優しく墓場に運ぶ人々ばかりです。人生における苦しみや恐ろしいこと、どこか舞台裏で起こっていることなど、私たちは聞きもしないし目にもしません。すべては静かで穏やかで、ただ物言わぬ統計表のみが抗議しているのです。心の病で気がおかしくなっている患者は何人か、何リットルのアルコールが飲まれたか、栄養失調で何人の児童が死亡したかなど、数字ばかりです。……幸せな人々が自分を快く感じることができるのも、不幸せな人々が自分の重荷をただ黙ったまま背負っているからです。
こういった秩序も必要ではあるでしょう。でも、彼らの沈黙なしに、幸福は存在できないのです。これは世の中全体がかかっている催眠術ですよ。(アントン・P・チェーホフ作、児島宏子訳「すぐり」)

Sahel: The End of the Road (Series in Contemporary Photography, 3)

Sahel: The End of the Road (Series in Contemporary Photography, 3)

  • 作者: Sebastiao Salgado,Orville Schell,Fred Ritchin,Eduardo Galeano,Lelia Wanick Salgado
  • 出版社/メーカー: Univ of California Pr
  • 発売日: 2004/10/01
  • メディア: ハードカバー
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すぐり (チェーホフ・コレクション)

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