「西陣」という名がボツになった理由

最近、英語を勉強していて、翻訳者という存在が大変気になりだしている。谷崎潤一郎川端康成等の翻訳を手がけたE・G・サイデンステッカーの『谷中、花と墓地』を読んだ。日本語で原稿を発表をする時にはいつも翻訳に回していたというサイデンステッカーが自ら日本語で書いた唯一の随筆集である。なぜそれまで翻訳に回していたのだろうと疑問に思うほど、さすがは名翻訳者と思わせられる名文揃いであった。私がいつか外国に住むことになったら、サイデンステッカーのようにその土地を堪能したい。東京や、小津の映画、日本の四季や喫茶店、猫などをこよなく愛したサイデンステッカーは、完全に日本文化を自分のものとし、たぶん大多数の日本人以上にその良さを満喫している。読んでいてネイティブの私が嫉妬を覚えるほどに、日本の生活を堪能している様子が伝わってくるのだ。さっきは「私がいつか外国に住むことになったら」などと書いたけれど、サイデンステッカーほど日本文化をものに出来ていない私はまず日本を満喫することからはじめるべきかもしれない。文化を深く知るということは、生活を豊かにすることにつながるのだとつくづく感じた。
そんなサイデンステッカーだけれど、文章の中にはやはり外国人らしい一面ものぞかせており、そのあたりが微笑ましく感じられる。例えば、社の絵馬掛けから一度だけ気に入った絵馬を失敬したことがあるというエピソードが面白かった。その絵馬は願掛けをしたものでは無かったようで、焼却される運命にあるものだから、罪は無いと思うけれど、日本人ならしそうにないことだと思う。
他にも「コンピューター時代に入る前に生涯が終わっていたらと思うこともある」とか「紫式部先生からも道綱の母上様からも誤訳に関する干渉は一切無かった」などというユーモアを感じさせる内容の文章も随所に散りばめられており、ただの教養豊かな人物であった私の中のサイデンステッカー像がより人間味のあるものに膨らんだ。
ひとつだけ気になったことがある。片仮名嫌いの氏が自分の名前を漢字にしようとしたとき、織物と関係が深い名なので、ということで「西陣」が候補にあがったというエピソードの中で、「京都という町が昔から好きでなかったからそれは乗り気になれなかった」という文章があったのだ。日本文化を愛した氏が京都を嫌った理由は何であったのか、私の住んでいる土地でもあるだけにすごく興味がある。

谷中、花と墓地

谷中、花と墓地