「主よ人の望みの喜びよ」の人

今年は、1859年にアンリ・デュナン赤十字の思想を提唱してから150年目のようで、郵便局ではその記念切手が販売されており、原宿表参道などでもキャンペーンが行われたようだ。
日本赤十字社の名誉総裁は美智子皇后なのだが、皇后の良き話相手であった精神科医神谷美恵子は、ハンセン病患者の治療に尽力したこと、ミシェル・フーコーの翻訳者、ヴァージアニア・ウルフの研究者等として知られている。
神谷美恵子の世界』で、様々な人によって書かれた神谷美恵子についての文章を読み、身が引き締まる思いがした。何でも器用に出来てしまう人っているものだけれど、神谷さんにかけてはそのレベルが半端ではない。結核で療養中にギリシア語を独習でマスターしてしまったり、26歳になってから医学の勉強をはじめ、育児をしながらハンセン病患者の療養所に通い仕事をしたり、スポーツも得意で料理も得意、文章も上手いしピアノも上手くて人徳もあり……「一日に与えられている時間は私と同じ24時間のはずなのに!」、天与の才能もあった方には違いないだろうけれど、にしても恐れ入る。フーコー臨床医学の誕生』を訳したときのエピソードなどこんな感じだ。フーコーに会って話をしているうちにその思想に共感し、彼にそのことを伝えたら臨床医学の誕生』を贈られた。その後読んだら素晴らしかったのですぐに翻訳をはじめた。なんてあっさりと。日本で誰もフーコーを知らなかった時代にである。もちろん神谷さんのびっしり書き込まれたノートを見ると、努力の人であったこともわかるのだけれど、神谷さんは自分の仕事を知の欲求を満たすこと、人に伝えること、奉仕することの喜びとして、活き活きとされているようで、血の滲むような努力とか悲壮なものが感じられないのだ。あるいは、人にそれを感じさせないようにすることが出来るほど賢い人だったのだと思う。写真の中の神谷さんの表情からもそんな印象は受ける。
神谷美恵子の世界』は、神谷さんの詩や日記の文、写真、近くにいた人による文章で構成されており、神谷さんの著作をきちんと読んだことのない私にも、神谷さんの人となりが充分伝わるような本であった。バッハがお好きだったようで、後半部分、神谷さんが自分の葬儀に「主よ人の望みの喜びよ」を流すことを生前希望し、願い通りこの曲に送られて逝ったというエピソードが出てくる。そこでメロディーを思い出していたら、曲が頭を流れると共に神谷さんに包まれているような気になり驚いた。それほどあのメロディーが似合う人である。

何故私たちではなくあなたが?
あなたは代ってくださったのだ、
代って人としてあらゆるものを奪われ、
地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。

(『神谷美恵子の世界』前田(神谷)美恵子の詩より抜粋、1943年)



神谷美恵子の世界

神谷美恵子の世界

臨床医学の誕生

臨床医学の誕生