滋賀のオリエント急行

実家に帰省するため、年に2回ほど寝台特急日本海』を利用し10年ほどになる。B寝台しか利用したことのない私の目下の目標はA寝台を利用することだ。そんなに金額は違わないのに、ついつい切符購入段階になると安いほうを選んでしまうのだが、次こそは、と思っている。

とういうこともあり長距離列車また寝台車をとても愛しているのだが、やはり最終目標はオリエント急行シベリア鉄道だ。窪田太郎ほか著『オリエント急行を入手。

1871年ドイツ帝国統一後の40数年間は、欧州大陸でほぼ平和が保たれた時期だ。その平和が各国の人々に外国旅行の楽しみを味わわせ、国際列車の発達につながった。長距離の旅を快適にするため、客車内に簡単なベッドを設けた寝台車(ワゴン・リ)が欧州に登場したのは、1845年(寝台車はアメリカのほうが早く導入)。そして、欧州に食堂車が登場したのは、1880年アメリカに登場したのは1865年)である。
そして、我らが「オリエント急行」が誕生したのは1883年10月4日。五両編成の急行列車が、フランス大蔵省高官や、フィガロ紙特派員、作家等招待客40名を乗せて、パリ・ストラスブール駅から終着コンスタンチノープル目指して動きだした。

発車までの興奮からやや冷めた乗客たちは、それぞれに割当てられたこれから数夜の自分たちの城である寝室をゆっくり見廻し始めた。磨きこんだマホガニーの内装、トルコじゅうたんの敷きつめられた床、絹張りの壁、安楽椅子に机。ソファーは、下段のベッドになり、上段のベッドは巧みに天井に納められていた。各車両にある洗面所、蒸気暖房、ガス灯の証明、・・・・・・皆が満足する前にまず驚きの声をあげた。(窪田太郎ほか著『オリエント急行』)

通過する各駅では、この新しい急行を見物する人達が集まっていた。ミュンヘンでは停車中に馬車による市内観光ツアーが行なわれ、ハンガリー国内に入ると、ジプシーの楽団が乗り込み、民族楽器を奏でて、乗客を楽しませた。ルーマニアではカロル国王との会見など、祝賀列車にふさわしい旅が続けられた。(窪田太郎ほか著『オリエント急行』)

以来、オリエント急行アガサ・クリスティオリエント急行殺人事件をはじめ、ヒッチコックバルカン超特急等様々な作品にも登場し、我々を魅了し続けることになるが、二つの大戦を経て、旅客飛行機の登場により、1977年には一度廃止されてしまう。(その後復活)

そのオリエント急行の車両を日本で利用できた一時期があり、現在はもう利用できない、ということを窪田太郎ほか著『オリエント急行を読んで知り、大ショックであった。なんと、1977年に廃車になった「ワゴン・リ寝台車」を日本の会社が購入し、滋賀で『列車ホテル』として使用していたとのこと。ああ、このことをもっと早くに知っていたら・・・・・・

オリエント急行 (とんぼの本)

オリエント急行 (とんぼの本)