赤い鳥の童話

坪田譲治編『赤い鳥傑作集』を読んだ。『赤い鳥』は、鈴木三重吉大正7年に創刊し、一時途絶はするものの昭和11年まで続いた童話と童謡の月刊雑誌である。私は長い間絵本や童話から遠ざかっていたので、大人になった今子供向けのものを読むとどんな風なのだろうと思いながら読んでみたが、予想に反して大人向けのものとどこが違うのだろうと頭をひねってしまうような作品ばかりであった。収録されていた話の中で知っていたのは芥川龍之介杜子春」、有島武郎一房の葡萄」、新美南吉「ごん狐」のみである。そしてストーリーは知っていたはずのその三作さえも、改めて読み直してみるとこんな文章だったのかと味わい深く読め、子供はどんな風にこれらの話を捉えるのだろうと知りたい気持ちになった。童話というと、私は小さい頃からどちらかというと西洋のものが好きで、アンデルセン童話やグリム童話などはよく読んだ気がする。童話と言って良いのか日本の昔話にも多く触れてきたとは思う。しかし、『赤い鳥傑作集』に収められている、作者名を例にあげると島崎藤村小山内薫菊池寛小川未明佐藤春夫林芙美子らの童話は、アンデルセンやグリムの童話、日本の昔話とひとくくりにするにはあまりに印象が違うものだった。教訓的な感じがする話もあるが、善人が終いには救われて悪人がこらしめられるという単純なものでもなく、全体的に寂しい余韻を残すものが多い。子供の世界にもきちんとある悪、子供の目線でみた大人、自然の厳しさや美しさなどが丁寧に描写され、単純に「おもしろかった」「あぁこわかった」という感想には終わらない何ものかがそれぞれの話を読んだあと胸に残る。抒情画を見た後のような日本的な儚さや美も感じる。現代の童話がどのようなものなのか、比較してみたいなと思った。
ところで、この本に収められている童話や童謡にはたくさんの植物の名前が登場する。多くの植物の名前を知らない私は、童話や童謡の情景を知識不足のためうまく想像できず、英語の小説でも読むようにいちいち調べながら、こんな姿形の植物なのかと読み進んだ。子供のための童話や童謡に登場するくらいなのだから、それらの植物は当時ありふれた身近な植物だったに違いない。目にする機会の少なくなった今、『赤い鳥傑作集』をそのまま子供に語って聞かせてもまずは事物の名詞を理解してもらうのに時間がかかりそうではある。だとしても、このまま『赤い鳥傑作集』に収められているような作品が過去のものになってしまうのはとても残念だ。現代の童話・童謡事情には疎いけれども同じくらいのインパクトを持つものを書ける人がいるのなら嬉しい。

赤い鳥傑作集 (新潮文庫 つ 1-7)

赤い鳥傑作集 (新潮文庫 つ 1-7)