家庭教師

昨日に引き続き仕事シリーズ。「家庭教師」について書いてみたい。この仕事も、昨日書いた「テープ起こし」ではないけれど、私の場合、全て知人の紹介だ。今まで、4人の子の家庭教師をさせていただいた。

「家庭教師は、子供の親に仕える身でありながら、子供を教育する(子供に決してなめられてはならない)という、難しい立場にたたされる職業であるため、近代ヨーロッパの家庭教師には精神的な病を抱えるようになった人が多かった」という内容の文章をどこかで読んだ記憶がある。
私も、精神的にまいるほどではなかったけれど、親御さんから先生と呼ばれ、ケーキや夕食まで出してもらって、短時間で高給をもらっている手前、「成績アップに繋がらなかったらどうしよう…」と、テスト前、学期末などには少なからずプレッシャーを感じていた。

「こんな私で良いのかな」と、思いながらも4人の子を教えてしまったのは、家庭教師という仕事の割がよかったから、という理由に尽きる。

宿題をしない子を(4人ともそうだったのだけど…)厳しく怒ることの下手な、威厳のない先生だったと思う。自分が学校の勉強するのをあまり好きではなかったため、教え子に変な理解を示してしまう面もあった。「何のために勉強するのか」っていう勉強の動機づけを、話をしながら一緒に考えるのが、面白かった。若い人の発言は、刺激的なことが多い。

家庭教師をやってみて気付いたのは、自分が高校生だった当時、難しいと思っていた数学の問題なんかも、年を経て、教えるつもりでしっかり勉強しなおすと、きちんとわかる、ということだった。総合的な理解力がアップしたのだと思う。かつて苦手意識を持っていた分野について、家庭教師をするためにもう一度見直さなければ、苦手意識を持ったままだったと思う。だからどうってわけではないけれど、「出来なかったことも時間をおいてやってみたら意外と簡単に出来ることもあるのだ」という、楽観主義的な考えが補強された。

家庭教師映画で有名なのは、サウンド・オブ・ミュージックか。家族の中に入り込んで、時には住み込みで子供を教育する家庭教師。一部上流階級の子供だけが体験できる出会いではあるけれど、良い家庭教師との出会いが子供にもたらす影響は計り知れない。相性のよくない家庭教師が毎日のように部屋にやってくるという子については、本当に可哀想としか言い様がないけれど。