ドキュメンタリー映画と報道写真−リアルとフィクション

ドキュメンタリー映画の上映会に行き、大森康宏監督『私の人生ジプシー・マヌーシュ』(1977年)と津軽のカミサマ』(1994年)をみた。どちらも、10年以上前(前者にいたっては30年も前)の作品だけれど、ナレーションがほとんど入らず説明的ないやらしさがなかったので、私にとってはとてもみやすい作品だった。昔のドキュメンタリーに特にありがちだけれど、大げさな効果音がついていたり、ナレーションが多く入るものは見ていて疲れる。製作者側の考えがもろに出されていて、それが邪魔に感じられるからだ。テレビをみない生活がもう10年目に達し、最近のTVのドキュメンタリー番組がどのようなものになっているのかちょっとわからないけれど、説明を排する傾向になっているのだろうか。どのようなものになっているのだろう。

フィクションとドキュメンタリーの区別は曖昧になっていて、カメラに撮られる人はどうしても演技をしてしまう部分がある。撮る側も、もちろん撮りたいと思うものを撮っているので、それはやはり作品にならざるをえない。フィクションの中にリアルがあり、リアルの中にフィクションがある。ヴァンダの部屋なんかはまさに、「フィクションとドキュメンタリーの違いって何だろう」と、考えさせられる映画だった。この作品によってその区別が曖昧であることをはじめて意識した人は多いのではないだろうか。

これは、写真においても言えることだ。おそらく映像においてより、被写体と対峙する写真家の態度というものが明確に感じ取られる。

写真の歴史をみるとその態度が様々に変化してきたことがわかるのだけれど、例えば、1935年、経済学者ロイ・ストライカーは、貧窮小作農の救済計画を予算からはずしたいと考えた政府の助言を求められ、写真家集団を各地の極貧地区に派遣し、報道写真を撮らせた。

ストライカーは、「記録写真は態度であって、技術ではない。肯定であって、否定ではない。すべての要素をひとつの目的のために用いねばならない。写真の言葉で語られるべきものを、できるだけ雄弁に語ることである。主題が、それ自身で、そしてまたその環境、時代、機能との関係において持つ意義を発見できるように、主題を十分に探求することが仕事である」と言ってドロシア・ラングやウォーカー・エヴァンズ、カール・マイダンスやアーサー・ロスタインらに、”説得する写真”を要求し、使命感にもとづいた大がかりな写真計画を三年がかりで遂行した。(伊藤俊治『20世紀写真史』)

そこで、派遣されたエヴァンズは、のちにフォト・ジャーナリズムの限界を感じ、報道写真を手がけることはなくなる。

「ドキュメントには用途がある。アートはそのドキュメンタリーのスタイルを借りることができるが、決してドキュメントではない。私の写真もドキュメンタリー・フォトと呼ばれるが、それは私の創造した写真の非常に新しい特質をきわめて軽薄にしかわかっていないことを示している」
エヴァンズは、自分の写真のなかに、従来のドキュメンタリーの枠組を拒み、人間社会のなかで機能することに限定されない写真の記録の新しい可能性を見つけようとしていた。そこに彼は、人間の社会化された意識を溶解し、人間を包みこんでしまう静けさに満ちた深い領域を見ていた。(伊藤俊治『20世紀写真史』)

『私の人生−ジプシー・マヌーシュ』津軽のカミサマ』の話に戻る。撮影当時、マヌーシュたちは、馬に荷をひかせて移動していたのが、今ではキャンピングカーが主流になっているという。津軽のイタコも、現在では義務教育のため後継者を育てられず、10名以下になってしまっているという。サルコジ政権になるちょっと前くらいから、マヌーシュにとって移動しながら生活することはどんどん困難になっているようだし、イタコやカミサマもおそらく、何年か後には、一人もいなくなってしまうのだろう。特に人相手であるこの種のドキュメンタリーを撮るには、まず撮られる人との関係作りにかなり神経を使う必要があり、それは非常に難しいことだと思うけれど、フィクションであるとかドキュメントであるとかとやかく言う以前に、今あるもの、また失われつつあるものを記録することは、地味だけれどやはり貴重な仕事だと思った。

ヴァンダの部屋 [DVD]

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20世紀写真史

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