見世物小屋

昨日に引き続きドキュメンタリー映画をみた。北村皆雄監督見世物小屋−旅の芸人・人間ポンプ一座』 (1997年)と『修験−羽黒山・秋の峰』(2005年)の二本。

私は1979年生まれだけれど、見世物小屋の記憶がない。寺山修司の本、映画『フリークス』丸尾末広の漫画等の中からとってきた断片をつなぎ合わせてできた見世物小屋のイメージが私の見世物小屋のイメージだった。それはとても古めかしいもので、まさか見世物小屋が未だにあるとは思っていなかったので、かなり数は少ないけれど現在でもそのような活動している一座があるということ自体軽いショックだった。蛇娘などYouTubeでも映像をみることが出来る。

按摩やイタコになるというのもそうだけれど、かつて、障害を持った人が生きていくために、見世物芸人になるという道があった。この映画の中では、身体・知的・精神と様々にハンディを抱えた人々が見世物芸人の一座に加わるまでの経緯も語られている。メンバーのエピソードはどれも忘れられないほど印象が強かったけれど、特に強い印象を残したのは、フクちゃんのエピソードだ。紡績工場で働いていたフクちゃんは、そのあまりの過酷さゆえに天井を破って脱し、その後ルンペンをしていた時、見世物芸人の一座と出会ったようだ。フクちゃんは撮影当時60歳を超えていたけれど、タコ娘として服を脱いで踊る芸をしていた。フクちゃんは、一座に加わってからも、時々一座を抜け出していなくなってしまうようだ。一座ではそれなりに大切にされているようなのに、ふいっといなくなっては、ルンペンをしたり盗みをしたりしているところをみつけられ、また一座に連れ戻されているらしい。芸を好んでしているわけでは決してないと思う。でも、紡績工場にいた時の「ここから抜け出したい」という思いが、その後加わった一座からも何度も抜け出してしまわなければならないほどに強かったのだろうと思った。フクちゃんは、ほとんど語らなかったけれど、なぜ抜け出してしまうのかよくわからないようだった。

今日は、ラッセル・フリードマン『ちいさな労働者−写真家ルイス・ハインの目がとらえた子どもたち』という本も読み、アメリカの炭坑や紡績工場、缶詰工場で働かされていたわずか3歳くらいからの労働する子供の写真をたくさんみたのだけれど、見世物芸人一座の人の姿もそこに重なってみえた。(皆小さい頃から一座に加わっている) 1900年代、1910年代を中心に撮影された写真が中心である。アメリカの人々はこれらルイス・ハインの写真をきっかけに「子どもの人権」について考えるきっかけを与えられたのだ。それがやっと今から100年ほど前のこと、そして、今でも世界中に労働をする子どもはたくさんいる。過酷な仕事によって死ぬ子はたくさんいたようだけれど、フクちゃんのようにして生き延びた人、障害を芸にしなければ生きることが困難であった時代を知っている人、また戦争を体験した人、とは、おそらく毎日歩いてすれ違っている。そのような人の話を実際にきこうと思えばきくことのできるうちに、様々な人の話をきいておきたい。

フリークス [DVD]

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ちいさな労働者―写真家ルイス・ハインの目がとらえた子どもたち

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