客車内の共同性

西垣通『メディアの森―オタク嫌いのたわごと』は、副題が「オタク嫌いのたわごと」となっているけれど、オタク嫌いの意味がわかったのはやっとあとがきを読んでからだった。この副題で手に取るのを控える人も多そうだけれど、文字とグローバリぜーションについてや科学に関するものなど、あまりオタクとは関係ない文章がほとんどで、写真も豊富な気軽に読める本である。
三つほど面白かった部分を書き写しておきたい。

<情報洪水は現代の焚書

いうまでもなく、どんな文書もただ貯蔵されているだけでは死物にすぎない。蓄積された情報は、それが検索されいまいちど現在の目で読み返されてはじめて、意味のあるものとなる。けれども、あまりに多量の情報があるとき、その大半は読み返される機会を失うだろう。
かけがえのない歴史的証言や考え抜かれた思索の跡が、メカニカルに大量生産される膨大な情報にまぎれて事実上無視され、抹殺されてしまう悲劇が、デジタル時代には起きうるのだ。
そうなれば私たちはおそらく自らの位置を見うしなう。あたかも錨の切れた舟のように、ふらふらどこかへ漂流していくのではないだろうか。
現代人は「情報の洪水」という、新種の焚書に直面している。いまこの瞬間にも、貴重な記録や文書が抹殺されつつあるのである。(西垣通著『メディアの森―オタク嫌いのたわごと』より)

デジタル時代においてデータが半永久的に保存されることについては素晴らしいことだけれど、あまりに多量の情報があると、どんどん欲しいものをみつけにくくなるな、と私も常々感じていた。インターネットも検索の仕方によって、欲しい情報に届くまでの時間を短縮できたり、寄り道が楽しく感じられる場合もあるけれど、その一方で、どんなに時間をかけても欲しかった情報にたどり着けないとき、とてもストレスを感じる。仕事で、調べ物をする機会が多いのだけれど、実は本屋や図書館に行き、選択肢は少なくても、ある程度時間をかけてまとめられた本をあたるほうがはるかに効率が良いことが多いという経験からも、西垣さんのいう「情報洪水は現代の焚書」というイメージはものすごくよくわかる。

もうひとつ面白いなと思ったのは、新メディアにおける「便利さ」とは何かについて考えられた「障害者向け機器の開発」という文章で、メディア研究者の松田美佐さんの論文が紹介されていた。

新メディアによる「便利さ」とはいったい何か、と松田さんは問いかける。人気漫画『ドラえもん』に出てくるいじめられっ子ののび太は、未来からやってきたドラえもんから便利な道具をうけとる。たとえば瞬間移動装置「どこでもドア」などの道具によって、のび太はいじめっ子の級友たちより優位にたち、つかのまの幸福をえる。だがそれはのび太がその道具を独占している間だけだ。やがて級友たちはのび太からその道具を取り上げたり、同じ道具を使い始めたりして、のび太は再びもとのいじめられっ子に戻るのである。
つまりこの種の便利さは、道具が「社会の外部(未来など)」から持ち込まれるときにだけ出現するものでもあり、いったん道具が社会の内部に組み込まれ人々に共有されると事情は変わるのだ。
たとえば電話は確かに遠隔会話を可能にするが、同時に電話を前提にした仕事もふやす。あるメディアを語るには、それが組み込まれた社会から出発しなくてはならない。ところが情報弱者解放論は、新メディアをまるでドラえもんの道具のようにみなしている、と松田さんは批判するのだ。(西垣通著『メディアの森―オタク嫌いのたわごと』より)

そしてもう一つ。電車でかける携帯電話について。携帯電話が郷愁を打ち砕くものとして作用しているという考え方も面白かった。

考えてみると、同じ客車に乗り合わせるというのは一種の因縁である。「そで振り合うも多生の縁」とか「旅は道連れ、世は情け」などという言葉もあって、かつての長距離列車では、隣席に座った他人同士が世間話をかわし、菓子や茶を分け合うといった光景もよく見られたものだ。このとき、幼い子が泣いても団体客が騒いでもよいのである。そこは一つの共同の「場」であり、乗客が皆で一緒につくりだす「世界」なのだから。つまり客車内では、乗客同士は一時的にせよ「他人」ではなくなるのである。
(中略)
携帯電話は、残酷にも、そういう郷愁を打ち砕くのだ。
すぐわきに何となく好ましい人が座っているとしよう。言葉を交わさなくても、互いに相手を観察しあい、一種の温かい雰囲気が生まれかける。そこへけたたましくベルが鳴る。携帯電話を通じてまったく別世界、異次元の会話が始まる。そのとき客車の中で誕生しかけていた一種の共同性はもろくもぶち壊されてしまうのだ。そして人間同士を分かつどうしようもない断絶、非情な無関係性がむきだしになるのである。(西垣通著『メディアの森―オタク嫌いのたわごと』より)

私は、寝台列車に乗ることが多いので、昔はもっとあったであろう「客車の中のコミュニティー」っていうものがよくわかる。仕事に追われて大変なのか何なのか、いかなる場でも携帯電話をとるような人は何か情緒に欠けるなぁ、という気がしていたのだけれど、西垣氏の説明はかなり私好みだ。
こういう客同士の共同性がわからないという人には古い映画だけれど清水宏監督『有りがたうさん』をおすすめしたい。

メディアの森―オタク嫌いのたわごと

メディアの森―オタク嫌いのたわごと

有りがたうさん [DVD]

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