ちょっとかわいい魯庵先生

鴻巣友季子『明治大正翻訳ワンダーランド』は、今ほど外国の情報を入手しやすくなかった、そして読者にも外国に関する知識がそんなに浸透していなかった明治大正期、翻訳家たちがどのように外国語を日本語に翻訳したのかについて多くのエピソードが詰められた本だ。著者本人もあとがきで「自分の連載時の原稿や取材メモを読み返してみると、若く物知らずなこの筆者は、色々なことをいちいち世紀の大発見のように驚いている」と書いていたけれど、読んでいる側にとっても紹介されたエピソードにはいちいち驚くことが多くとても楽しく読むことができた。
内田魯庵トルストイ『復活』を翻訳したとき、「これは傑作だ。退屈なところがあっても辛抱して読め」ということを読者に念を押して伝えるため、その「面白くない」ことをこれでもかというほど前書きとして書き連ねたというエピソードなどは特に可笑しい。まず、連載開始日には『復活』の第一回ではなく、「所謂小説好き又は小説読みに見せたらコンナ面白くない小説は無い」という主旨の「トルストイの『復活』を訳するに就き(上)」と題する魯庵の長い前書きが掲載され、その次の日にはその(下)が、いよいよの連載初回のはしがきとして更に「読む前の心得」まで掲載されたというほどのしつこさなのだ。原文の魅力を自分の訳の所為で損なってしまうのではないかという訳者の葛藤や、気の遣いようがひしひしと伝わってくる。誤訳によって印象ががらりと変わってしまう可能性もあるから、翻訳というのはものすごく神経を使う作業であることに間違いはない。実際、誤訳論争によって寿命を縮めたと言われる人もいるくらいだ。
『明治大正翻訳ワンダーランド』にも多く引用されていたけれど、明治大正期に翻訳された文には、同じ日本語であっても現代ではどのような意味となるのか更に調べ理解しなければならない事柄や言葉が多くある。明治大正期には英語以外の言語で書かれた本の場合、その英訳版から日本語に翻訳したこともよくあったようだけれど、ある時代に、ある国のある作家が書いた話が、さまざまな人の感性による翻訳を経て自分に伝わってくるというのはゲームをしているようで面白い。そして、自分が理解した世界を自分の言葉でかたちにする作業というのもきっと楽しいのだろうな、と思う。そろそろ、短篇でも良いからまるまるひとつの話を翻訳してみて、プロの訳者の訳と読み較べ、違いを楽しむという少しは勉強を兼ねた遊びもやってみたいな、と思った。

明治大正 翻訳ワンダーランド (新潮新書)

明治大正 翻訳ワンダーランド (新潮新書)