レーモン・クノーと月影先生

昨年、ちょこっと翻訳の授業を受けていた時期がある。地下鉄のザジレーモン・クノー『文体練習』を読んで、その時のことを思い出した。主人公が<I>(私)である英文を渡されて、その「私」がどのようなキャラクターなのか、老紳士なのか、主婦なのか、若い女性なのか、男の子なのか、また年齢・性別のみならず、その人がどのような性格の持ち主なのか等、出来るだけ具体的にイメージし、口調もその人物になりきって訳して発表してください、という課題があった。私は、平凡に中年のまじめな女性教師を想像したに過ぎなかったのだけれど、クラスの人は、例えば自分のおばあちゃんを想定していたり、あるアイドルを想定していたりして、口調も関西弁だったり女子高生風だったりとバラエティーに富んだ発表をしており、同じ文章、素材からでも、訳し方によってこんなに変わるのかと面白く感じた。
そんな体験は実はそれ以前にもある。確かガラスの仮面北島マヤ月影先生の課題を演じている場面を読んだ時のことだ。マヤが同じ台詞を喜怒哀楽の四つのパターンで演じ分けるのだが、その時も、同じ台詞なのに演じ方によってここまで印象が変わるのかと感動した。
『文体練習』には、同じ出来事が99の文体で書かれおり、文学的実験という色彩が強く、のちの前衛文学思潮にも影響を与えた本なのだが、読み進むうち、私は昔ガラスの仮面ではじめて覚えた感動を思い出し、クノーという優秀な生徒が月影先生の難題を次から次へとスマートにこなしていっているような錯覚に捕らわれてしまった。
この本はフランス語を学ぶ外国人のための教科書として使われることもあるそうで、いつかフランス語を勉強する気になったら是非テキストにしたいと思えるような愉しい本である。いまのところフランス語の原文で読むことの出来ない私は朝比奈弘治氏の翻訳で読んだのだが、原文でしか味わえないかもしれない面白さを十分に伝えてもらえたような気がする。あとがきを読めば、氏が翻訳の際に苦労した箇所などわかるのだけれど、たとえば、原題が「ギリシア語法」で、ギリシア語起源の単語や語根をふんだんに使った断章を訳す際は、「枕草紙」の文体を使用し、題も「古典的」にするなどの工夫がなされている。
いつか翻訳の仕事もしてみたいと思っている私には、翻訳の可能性(または、ことばのゲームとしての翻訳)というものを考える上で大変参考になる本であったし、クノーと朝比奈氏の言語感覚の良さ、頭の柔軟性にいちいち感心しながら読み進んだ。
不思議の国のアリスも言葉遊びがふんだんに用いられていることで有名で、英語を学ぶ教材として使われることも多いが、さて、日本語を勉強する外国人にとってこんなに愉しく勉強できる格好のテキストはあるのだろうか。

文体練習

文体練習

ガラスの仮面 1 (花とゆめCOMICS)

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