三歳児神話

最近香山リカ著『貧乏クジ世代―この時代に生まれて損をした!?』も読んだが、香山リカの著書には、そのとき気になっている事にぴったりのタイトルのものが多いなと思う。
今回読んだのは『母親はなぜ生きづらいか』。タイトルから想像していた現代の母親の精神面にだけスポットを当てたような内容ではなく、近代〜現代に至る子育ての文化史のような内容だった。第1章では江戸時代、父親が最近の「パパ男子」など以上に真剣に子育てに取り組んでいたということ、血縁関係によらない「仮親制度」というシステムが存在していたこと、大原幽学が唱えた「換え子教育」についてなどが紹介され、子育ては母親の役割というイメージがあまりに強い現代からみると驚くほど先進的な子育て観が当時あったことに感心した。
私は、自分がまさか子供を持つことになるとは考えていなかったので妊娠や子供については常識以下の知識しか持ち合わせておらず、最近あわてて勉強している。子育てに必要な情報を集めていると、「三歳くらいまでに母親がいかに教育するかで子供の能力が決まる」といういわゆる「三歳児神話」を信じ込ませるような広告、商売が嫌でも目につくようになり、お受験などはもとより選択肢になく、子供を天才児に育てたいと思っているわけでもない私のよう人間でさえ幾ばくか不安を感じてしまう。現在日本ではどうもメディアが「三歳児神話」を推進しているようだが、この「三歳児神話」が母親の生きにくさの一因になっているとする第5章を読んだことで少し安心した。
「三歳児神話」の強いよりどころとなっているのは、イギリスの児童精神医学者ボウルビィの理論らしい。

一九五一年、世界保健機関(WHO)の委嘱で第二次世界大戦の繊細孤児の調査研究を行ったボウルビィは、「孤児や家族から引きはなされた子どもの精神発達に遅れが生じる」と報告した。
それまでの研究で、家庭環境の中で起きる母性剥奪(母性的養育喪失)に着目したボウルビィは戦災孤児たちにおいては施設への収容などの結果、この母性剥奪が起きて、それこそが発達障害の大きな要因である、と主張したのである。
また、ボウルビィは、子どもが出生直後から養育者を見つめ、泣いて求め、すがりつき、また養育者も抱っこしたり、からだに触れながらオムツをかえたりする中で次第に作られていく愛情を伴った絆を「愛着」と読んだ。そして、「愛着」を求める子どもの動きを「愛着行動」と呼んだのだ。(中略)
このボウルビィの理論は、「幼児期に母性剥奪が起こると取り返しのつかない発達の遅れが生じる」「赤ん坊が本能的に愛着行動を起こす時期に母親がそばにいないと能力が形成されない」というメッセージとなって、またたく間に世界中の子育てに大きな影響を与えることになる。香山リカ著『母親はなぜ生きづらいか』)

しかし、その後の研究において、この理論にはいろいろな問題が指摘され、批判も相次いだようで、精神医学の世界ではボウルビィのオリジナルの理論は過去のものとなりつつあるようだ。同様に「脳科学が明らかにした早期教育の有効性」といったような説にも眉唾で臨んだほうがよさそうとのことも書かれてある。これらを信じ込むことによって、結果的に母親ばかりでなく子どもも苦しむことになるとのことだ。
赤ちゃん関係のカタログや雑誌を見ていると、多くのものが絶対なければならないものに思えてしまい、お金がいくらあっても足りないような気になる。マタニティ用品についても、私自身はじめてなだけに不安でいろいろ購入してしまったけれど、後で必要なかったのではないかと思えるものもあった。氾濫する情報の中には必要でないものがたくさん含まれているはずなので、手抜きをせずにより多くの情報を集めてみたり、まずは本当に必要なのか疑ってみるということの重要性を今とても感じている。何が本当に必要なのかを考えるとき、昔の人の暮らしや異文化の生活を想像してみるというのは簡単で有効な手段だ。ということで、紙おむつではなく布おむつ、既製服ではなく手作りの服で赤ちゃんを迎える準備をしている。

母親はなぜ生きづらいか (講談社現代新書)

母親はなぜ生きづらいか (講談社現代新書)

貧乏クジ世代―この時代に生まれて損をした!? (PHP新書)

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